世界大百科事典(旧版)内の藤原河清の言及
【藤原清河】より
…奈良時代の廷臣。遣唐大使として入唐し,唐土で没した。生没年不詳。藤原不比等の孫,北家の房前(ふささき)の四男。740年(天平12)従五位下,中務少輔,大養徳守を経て749年(天平勝宝1)参議となり,翌年遣唐大使に任ぜられ,752年副使の大伴古麻呂,吉備真備らとともに入唐し,長安にいたった。入唐後,河清と称し,玄宗皇帝に拝謁して君子国の使臣と称賛され,翌年正月の諸蕃朝賀の儀式では,副使大伴古麻呂の抗議が入れられ,新羅の使臣より上位に列せられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」