朝日日本歴史人物事典 「藤原経光」の解説
藤原経光
生年:建暦2(1212)
鎌倉時代の公卿。権中納言頼資と源兼資の娘の子。天福1(1233)年蔵人,右少弁,右衛門権佐を兼ね,「三事兼帯」となる。蔵人頭を経て仁治2(1241)年参議。宝治1(1247)年権中納言。辞したのち文応1(1260)年民部卿。近衛家・鷹司家の家司として関係が深い。父は文章道の日野家の出で,経光も日野流の長者となっている。当時は勘解由小路と号し,室町時代に広橋と称するようになった。弁官・蔵人となる実務官人の家柄で,頼資以来代々詳細な日記を残している。経光の日記『民経記』は自筆本が多量に残っており,紙背文書とともに,後嵯峨院政期の基本史料である。
(吉田早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報