藤原資長(読み)ふじわらのすけなが

朝日日本歴史人物事典 「藤原資長」の解説

藤原資長

没年:建久6.10.6(1195.11.9)
生年:元永2(1119)
平安末期の公卿。権中納言実光の次男,母は近江守高階重仲の娘。三事兼帯,蔵人頭,参議,左大弁を経て,永万1(1165)年権中納言,治承3(1179)年民部卿・正二位に至る。文章博士も務めた日野流儒家で,保元から治承に至る内乱期に政務に励むが,治承5年本懐である出家を遂げ,九条兼実から「末代の幸人」と評される。菩提寺日野法界寺に隠居,法名如寂。日野民部卿,日野入道と号される。元暦1(1184)年高野山に参籠し,その後『高野山往生伝』を著す。文治3(1187)年の意見封事には九条兼実と後白河法皇人選により意見を求められる。『資長卿記』がある。和歌は『続古今和歌集』に1首,漢詩は『拾玉集』に1首載る。

(今村みゑ子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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