世界大百科事典(旧版)内の《藤壺の怨霊》の言及
【嫐打物】より
…怨霊による嫉妬の演出は江戸でもその前年3月同座の《関東小禄》にも仕組まれている。京坂では1677年(延宝5)京の都万太夫座の近松門左衛門作《藤壺の怨霊》が古い作とされるが確実でない。歌舞伎での〈うわなり〉〈うわなり打ち〉の用語は1688年(元禄1)刊《野郎役者風流鏡》今村久右衛門の条〈うはなりのめいじん〉,93年刊《古今四場居色競百人一首》玉川千之丞の条〈うはなりのかいさん〉,1702年江戸山村座の《鬼城女山入(おにがじようおんなやまいり)》に〈うはなりうち〉その他が見え,怨霊・嫉妬の演技・演出と同意に用いられている。…
※「《藤壺の怨霊》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」