世界大百科事典(旧版)内の藤島玉堂の言及
【藤島武二】より
…洋画家。薩摩藩士の子として鹿児島に生まれる。1884年洋画研究を目的に上京するが機会を得ず,翌年日本画家川端玉章に入門し,玉堂と号する。87年の東洋絵画共進会,89年の青年絵画共進会に日本画で受賞するが,90年同郷の曾山幸彦の画塾,ついで中丸精十郎,松岡寿のもとで初志の洋画研究を開始した。翌年からは山本芳翠の生巧館画学校へ通い,同年明治美術会第3回展に,同じく山本門下にあった白滝幾之助(しらたきいくのすけ)(1873‐1959)の名を借りて油絵の処女作《無惨》を出品した。…
※「藤島玉堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」