蘆名平四郎(読み)あしなへいしろう

世界大百科事典(旧版)内の蘆名平四郎の言及

【蘆名盛氏】より

…戦国期の武将。会津黒川城主。幼名四郎丸。通称平四郎また平三郎とも伝える。初名盛治。入道して止々斎(ししさい)と称した。父は蘆名盛舜(もりきよ)。南会津および仙道(福島県中通り)に勢力を拡大し,蘆名の全盛時代をきずいた。1563年(永禄6)の室町幕府の記録には後北条,織田とともに〈大名在国衆〉50余人のなかに列している。法名瑞雲院竹巌宗関大庵主。墓所は会津若松市宗英寺。蘆名氏【小林 清治】…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」