…15世紀前半の盛政のころには会津守護とよばれて会津地方に君臨するに至り,1538年(天文7)国別に配付された後奈良天皇宸筆の般若心経は蘆名盛舜(もりきよ)のもとに下されている。盛舜の子盛氏の世に最盛期を迎えたが,その後は歴代の若死が続いて家中統制も弱体化し,蘆名義広(常陸の佐竹義重の次男)が89年(天正17)6月耶麻郡磨上原(すりあげがはら)の合戦で伊達政宗に大敗して滅亡した。蘆名盛氏【小林 清治】。…
※「蘆名義広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」