蘆名盛重 あしな-もりしげ
1575-1631 織豊-江戸時代前期の武将。
天正(てんしょう)3年生まれ。佐竹義重(よししげ)の次男。結城義親(よしちか)(白川義親)の養子となったが,天正15年後継者のない蘆名氏にむかえられ,陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)黒川城主となる。17年伊達政宗と磐梯山麓(ばんだいさんろく)の摺上原(すりあげがはら)でたたかい,敗れて生家佐竹氏のもとにのがれ,のち秋田にうつった。寛永8年6月7日死去。57歳。初名は義広。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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蘆名盛重
あしなもりしげ
[生]天正3(1575)
[没]寛永8(1631).6.7.
戦国時代の武将。常陸佐竹義重の子。9歳で結城義親の養子となり義広と称し,13歳で会津の蘆名を継ぎ,のち盛重と改めた。天正 17 (1589) 年伊達政宗に攻められ常陸に逃れ,会津の蘆名氏は滅んだ。のち常陸江戸崎を領したが,慶長7 (1602) 年佐竹氏の秋田移封に際し佐竹家臣となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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