朝日日本歴史人物事典 「蘇我河上娘」の解説
蘇我河上娘
6世紀後半,崇峻天皇の妃。蘇我馬子の娘。妃をおくり擁立したにもかかわらず,崇峻天皇は蘇我氏に反感を抱きつつあったので,崇峻5(592)年に馬子は東漢直駒に命じて天皇を殺させた。その際,娘の河上娘も死去したものとばかり思っていた馬子は,実はひそかに駒の妻にさせられていることを知り,怒って駒を殺したという。子はいなかったらしい。
(明石一紀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(明石一紀)
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