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蚊柱百句 かばしらのひゃっく

世界大百科事典内の蚊柱百句の言及

【宗因】より

…70年(寛文10)法雲禅師のもとで出家,連歌所宗匠の地位を一子宗春に譲ってからは,いよいよ俳諧に熱中した。彼の俳風は,万治期からの独吟百韻を集めた《宗因千句》に早くも顕在化するごとく,和歌・謡曲などの文句の奇抜なパロディ,句調の軽妙さ,付合(つけあい)の飛躍的展開などにおいて,おのずから貞門古風へのアンチテーゼをなしたため,貞門からは〈軽口(かるくち)〉〈守武(もりたけ)流〉など異端者呼ばわりされ,《西山宗因蚊柱百句(かばしらのひやつく)》(1674)に対して論難書《しぶうちわ》(1674)が出されたりした一方,貞門風にあきたらず新風を模索していた大坂の西鶴・惟中,京の高政,江戸の松意・桃青(芭蕉)など気鋭の新人たちから熱狂的支持を受け,談林派の盟主にまつりあげられた。《西山宗因釈教俳諧》(1674),《宗因五百句》(1674),《宗因七百韻》(1677)など,宗因の名を冠した俳書が続々刊行されたのは,その声望の表れである。…

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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報