世界大百科事典(旧版)内の融和事業完成十ヵ年計画の言及
【同和対策】より
…また政府は昭和恐慌による打撃を克服するために,32年以降,農山漁村経済更生運動の一環として,部落経済更生運動を展開し,部落の自力更生を唱えた。35年には,全国融和事業協議会において〈融和事業完成十ヵ年計画〉が決定された。この十ヵ年計画は被差別部落の自覚更生をうたい,産業経済,教育文化,環境整備の諸施設のために約5000万円を投じて,部落問題対策を完結させようとした戦前最大の融和政策であったが,初年度36年の予算措置が計画の5分の1にすぎず,37年には日中戦争が全面化したため,国家総動員体制強化の政策の中に吸収される運命をたどった。…
【被差別部落】より
…これに対しては,司法当局は関係裁判官,検事らの降格・更迭等を行い,判決の不当性を暗に認めた。
[〈融和事業完成十ヵ年計画〉]
1934年には,被差別部落に対する国民的関心が深まるなかで〈融和事業〉についての長期的展望が強く望まれるにいたり,中央融和事業協会は全国融和事業協議会に〈融和事業の綜合的進展に関する件〉を提出した。そこでの論議をふまえて,35年には36府県・38団体からなる全国融和事業協議会で〈綜合的進展に関する要綱〉〈融和事業完成十ヵ年計画〉が可決され,政府に対応を求めたのである。…
※「融和事業完成十ヵ年計画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」