…《日本書紀》によると,応神天皇のときに百済から120県の人夫(民衆の意)を率いて渡来したという。この人夫の数は秦氏の後世大いに発展した姿を過去に投影させた造作とみられるが,その伝説化はその後さらに進み,《新撰姓氏録》にみえる伝えでは,秦氏は秦始皇帝13世の孫の孝武王の後裔で,王の子の功満王が仲哀朝に,その子の融通王(弓月君)が応神朝に127県の百姓を率いて帰化したというようになっている。【関 晃】。…
※「融通王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...