弓月君(読み)ゆづきのきみ

精選版 日本国語大辞典 「弓月君」の意味・読み・例文・類語

ゆづき‐の‐きみ【弓月君】

応神天皇の時、百済から日本に帰化した人。渡来系の有力氏族である秦氏の祖と伝えられる。

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デジタル大辞泉 「弓月君」の意味・読み・例文・類語

ゆづき‐の‐きみ【弓月君】

はた氏の祖といわれる伝説的人物。秦の始皇帝子孫と称し、応神天皇の代に百済くだらから渡来したという。融通王

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朝日日本歴史人物事典 「弓月君」の解説

弓月君

古代朝鮮から渡来した人々の集団の首長とされる伝説的人物。融通王とも。『日本書紀』によると,応神14年に弓月君が百済から渡来し,率いる120県の人々が新羅人の邪魔により,加羅(加耶)に留まっていると報じたので,葛城襲津彦が加羅に遣わされた。同16年になって平群木【G7EDF/へぐりのつく】宿禰,的戸田宿禰らを加羅に遣わし,襲津彦と共に人々を連れてきたという。『古事記』応神記には秦造の祖,漢直の祖が渡来したとのみある。9世紀初めの『古語拾遺』や『新撰姓氏録』には秦氏の祖と伝えられ,『日本三代実録』元慶7(944)年条の秦永原らの上奏では同氏は秦の始皇帝の子孫融通王の後裔であるとの系譜意識が語られている。これに対して,これらの記事は元来弓月君は葛城氏の同系の波多氏らの祖という伝承であったのが,のち秦氏の祖と変わったとする異説もある。秦氏は波旦(韓国蔚珍市)あたりを本拠地とする集団が5世紀末から6世紀初めにかけて加耶南部に移動し,そこから渡来して故地の名にちなんだ氏名を称したとみなされる。<参考文献>平野邦雄『大化前代社会組織の研究

(鈴木靖民)

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改訂新版 世界大百科事典 「弓月君」の意味・わかりやすい解説

弓月君 (ゆづきのきみ)

帰化系雄族の秦氏(はたうじ)の祖と伝えられる人物。《日本書紀》によると,応神天皇のときに百済から120県の人夫(民衆の意)を率いて渡来したという。この人夫の数は秦氏の後世大いに発展した姿を過去に投影させた造作とみられるが,その伝説化はその後さらに進み,《新撰姓氏録》にみえる伝えでは,秦氏は秦始皇帝13世の孫の孝武王の後裔で,王の子の功満王が仲哀朝に,その子の融通王(弓月君)が応神朝に127県の百姓を率いて帰化したというようになっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「弓月君」の意味・わかりやすい解説

弓月君
ゆづきのきみ

秦氏の祖といわれる伝説的な渡来人。融通王とも書く。始皇帝の子孫とされる。『日本書紀』によれば,5世紀頃百済から来朝。その際に,率いてきた多くの人々が新羅によって加羅に留めおかれていると応神天皇に訴えた。そのため天皇は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を加羅に派遣,さらに 3年後に平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)をつかわし,弓月君の率いてきた人々を日本へ連れ帰らせたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「弓月君」の意味・わかりやすい解説

弓月君
ゆづきのきみ

古代の渡来系豪族の秦(はた)氏の祖といわれる。『日本書紀』には、応神(おうじん)天皇14年に弓月君が百済(くだら)からきて、120県の人夫を率いて帰化しようとしたが、新羅(しらぎ)人に妨げられて、皆加羅(から)国にとどまっていると上奏したので、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を遣わしたが、3年たっても襲津彦は戻らなかった。そこで平群木菟宿禰(へぐりのずくのすくね)と的戸田(いくはのとだ)宿禰に精兵を授けて加羅に赴かせ、弓月の人夫と襲津彦を連れ戻したとある。『日本書紀』では弓月君を秦氏の祖とはしていないが、『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に、太秦公(うずまさのきみ)宿禰は、秦始皇帝(しんのしこうてい)3世の孫、孝武王の後で、男融通(ゆうずう)王(弓月君)が応神天皇14年に来朝したとみえる。後世につくられた話の疑いがある。

[志田諄一]

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百科事典マイペディア 「弓月君」の意味・わかりやすい解説

弓月君【ゆづきのきみ】

秦(はた)氏の祖先と伝えられる人物。一説に秦氏は秦(しん)の始皇帝の子孫。応神朝に百済(くだら)から来日したとされるが,実在の人物かどうかも不明。
→関連項目渡来人

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「弓月君」の解説

弓月君
ゆづきのきみ

秦(はた)氏の祖とされる伝説上の人物。「日本書紀」は応神14年に百済(くだら)から渡来したとするが,実は新羅(しらぎ)系で,その伝承も東漢(やまとのあや)氏や西文(かわちのふみ)氏に対抗して後代に造作したものとされる。秦氏の成立も,欽明朝頃に山背国を中心に各地の新羅系渡来人を組織したもので,中国史書に辰韓は秦の亡命者とあることから秦氏と称したものであろう。ユヅキも,斎槻(ゆつき)の木のことで,古代朝鮮の聖木信仰に由来する語であろう。

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旺文社日本史事典 三訂版 「弓月君」の解説

弓月君
ゆづきのきみ

4〜5世紀,応神天皇朝に来日したと伝えられる百済 (くだら) の渡来人
秦氏 (はたうじ) の始祖という。漢氏 (あやうじ) と並ぶ有力な渡来系氏族。『新撰姓氏録』では秦の始皇帝の子孫といい,応神天皇のとき127県(『日本書紀』では120県)の民を率いて来日。養蚕・機織・財務にすぐれ,大和政権に仕え各地の秦部を統率した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「弓月君」の解説

弓月君 ゆづきのきみ

古代の伝承上の渡来人。
秦(はた)氏の祖とされる。「日本書紀」には,応神天皇のとき百済(くだら)(朝鮮)から120県の民をひきいて渡来したとある。「新撰姓氏録」には,秦(しん)(中国)の始皇帝の末裔(まつえい)である融通王(弓月君)が応神天皇14年に127県の民をつれて渡来したとある。

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世界大百科事典(旧版)内の弓月君の言及

【秦氏】より

…秦始皇帝の裔を称し,後漢霊帝の子孫という漢氏(あやうじ)と勢力を二分した。《日本書紀》には,応神天皇のとき弓月君(ゆづきのきみ)が〈百二十県〉の〈人夫〉をひきいて〈帰化〉し,雄略天皇のとき全国の〈秦民〉を集めて秦酒公に賜り,酒公は〈百八十種勝(ももあまりやそのすぐり)〉をひきい朝廷に絹を貢進したとある。《新撰姓氏録》もほとんど同じことを記すが,弓月君は秦始皇帝の子孫で,帰化したのち〈大和朝津間腋上〉の地に安置されたとし,酒公は〈秦民〉92部1万8670人をひきい絹を貢進し,それを納めるため〈大蔵〉を宮側にたて,その〈長官〉となったという。…

※「弓月君」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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