行尚書省(読み)こうしょうしょしょう

世界大百科事典(旧版)内の行尚書省の言及

【元】より

…この南方定住文化地域は物的・人的資源において北方草原遊牧地域を圧倒する実質を有しており,その確保こそはハーンの権威ひいては帝国の統一にも関わる要件だっただけに,新設の諸ウルスにとってもやがてはそれが食指を動かす対象とならずにはおかないであろう。 1251年,即位早々の憲宗が燕京,ビシュバリク,アム川(おそらくブハラであろう)に3行尚書省(中央政府の出張機関)を設置したのは,とくに有力な西北3ウルスに兆し始めたこの野望を制圧せんとする措置にほかならなかった。有力モンゴル諸王の勢力が定住文化地区に扶植されればそれぞれの個別性が強まり,帝国の統一に亀裂の生ずるおそれがある。…

※「行尚書省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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