世界大百科事典(旧版)内の行松氏の言及
【伯耆国】より
…長年が京都で討死をとげてから1年と経たぬ1337年(延元2∥建武4),伯耆国には山名氏が新守護として入部し,またたくまに伯耆一円に及ぶ領域的支配権を確立した。しかし守護山名氏の領国支配も内実はそれほど安定していたわけではなく,岩倉城小鴨氏,羽衣石(うえし)城南条氏,尾高城行松氏をはじめ,鎌倉末・南北朝期以来それぞれの地域に城を築いてここに拠った国人・土豪層の自立性を抑ええたわけでもなかった。 山名氏を西軍の大将として開始された応仁・文明の乱は,このような矛盾を一挙に顕在化させた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」