表現主義論争(読み)ひょうげんしゅぎろんそう

世界大百科事典(旧版)内の表現主義論争の言及

【ウォルト】より

…統一戦線の立場から幅広い亡命作家の作品発表の場とするとともに書評欄を充実し,またヒューマニズム論や,古典文学・芸術の遺産としての継承の問題も重視した。なお表現主義からナチス支持になった作家をどうみるかに始まった〈表現主義論争〉には15人もが次々に寄稿,ソ連でのフォルマリズム批判ともからみ,やや混乱するが,当時の状況をよく示す論争であった。【長橋 芙美子】。…

【ドイツ文学】より

…これは表現主義者たちの実験を経てデーブリーンらの代表する新即物主義の散文へと広がっていったが,他方では19世紀の小説を継承発展させたトーマス・マンの活動や,社会主義リアリズムの本流を築いたA.ツワイクらの歩みがあり,小説は結局実験か写実かの二つの道に大きく分かれてゆく。この両者の相克を露呈したのが1937年に,亡命作家たちの間で起きた表現主義論争である。詩は,19世紀の民謡調マンネリズムからの脱却を心がけたホフマンスタールやリルケによって,ギリシア系ないしラテン系の古い形式が用いられ,さらにそれを変形し突き崩していく過程で,現代詩としての表現形態が探求されていく。…

【表現主義】より

… 表現主義の評価をめぐっては,1937‐38年にドイツ亡命作家の雑誌《ウォルト》誌上で討論が続いた。いわゆる〈表現主義論争〉である。社会主義リアリズムの立場から表現主義の前衛性を否定するルカーチとそれを積極的に評価しようとするE.ブロッホの対立を鮮明にしたまま論争は終結したが,議論は現代文学の根幹にかかわるものとしてその後も尾を引いた。…

【ワイマール文化】より


[文学]
 文学においては,まず表現主義,続いて新即物主義が流行するが,それは熱病のような〈高揚〉とその後に来るしらけきった〈空虚〉とみることができる。自己を否定する小市民的ラディカリズムのもつ両義性は,解体を通じての解放とファシズムへの転落を内包し,のちにソ連に亡命した知識人の間で,それを肯定的に評価するか否定的に評価するかをめぐって,激しい〈表現主義論争〉を巻き起こすもととなった。その名も《父親殺し》という戯曲によってワイマール初期の演劇界を象徴するスキャンダルを引き起こしたブロンネンArnolt Bronnen(1895‐1959)は,やがてナチスに傾斜し,19世紀ドイツ市民文学の最後の代表者トーマス・マンの〈理性に訴う〉という講演を妨害するリーダーとなった。…

※「表現主義論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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