世界大百科事典(旧版)内の袴つけの言及
【七五三】より
…男児5歳の袴着(はかまぎ)の祝いは,武家の風を受けつぐもので,明治時代には士族や上流家庭では,5歳の男児にはじめて袴をつけて碁盤の上に立たせて祝宴を行った。北陸,中部地方などでは,袴祝とか袴つけ,裃着(かみしもぎ)などといい,男児だけの祝いをする例が多いが,5歳の女児がヒモオトシ,オビツケの祝いを行う地方もある。7歳の祝いは男女ともに幼年期の最後の祝いとして,ハレギを着せて宮まいりをするが,女児はこのときにはじめて帯を結び,オビトキ,ヒモオトシをする所もある。…
【待合】より
…露地における施設の一。腰掛,袴付(着)(はかまつき),寄付(よりつき)ともいう。《茶湯秘抄》によると〈路地に五畳敷のキヌヌキ有之ナリ〉とみえ,奈良の茶匠,松屋久行は待合のような部屋を設けていた。この衣脱(きぬぬき)は〈今更之様ニ申セ共,昔よりもありたるぞ〉とも誌(しる)されているところから,遅くとも村田宗珠,武野紹鷗(しようおう)の時代より以前からあった施設であることが知られる。茶室に縁が付いていたころには,縁が腰掛の役割をしていたが,松屋久栄の露地では,縁側の前の庇(ひさし)の下に〈長五尺六寸,足フトサ一寸二分〉の床几を置いて腰掛待合に使われていた。…
※「袴つけ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」