世界大百科事典(旧版)内の《裙重浪花八文字》の言及
【お妻八郎兵衛物】より
…改作に《鐘もろとも夢鮫鞘》(1813年5月京北側芝居),《文月恨鮫鞘》(同年7月江戸中村座)などが生まれ,《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(鶴屋南北作,1808年6月江戸市村座)にも書き替えられている。人形浄瑠璃には,《裙重浪花(つまがさねなにわの)八文字》(八民平七作,1769年2月大坂竹本座)があり,その六段目〈鰻谷の段〉を改題したのが《桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)》で,今日まで残り,歌舞伎でも演じられている。【三浦 広子】。…
【桜鍔恨鮫鞘】より
…改作に《鐘もろとも恨鮫鞘》(1813年5月京の北側芝居)などがある。《文月恨切子》をうけて作られた人形浄瑠璃《裙重浪花八文字(なにわはちもんじ)》(八民平七作)が,69年(明和6)2月大坂阿弥陀池東の芝居竹本座で上演された。《桜鍔恨鮫鞘》は,この《裙重》の〈鰻谷の段〉である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」