世界大百科事典(旧版)内の《製造工業に関する報告書》の言及
【コックス】より
…フィラデルフィアで生まれる。初めは貿易商人として活躍,独立革命後は連邦政府の行政官を歴任,特に財務長官A.ハミルトンの補佐官として《製造工業に関する報告書》の作成を助けたことが重要である。その政治的立場はたびたび変わったが,終始積極的な保護主義論者として,工業保護育成による国内市場の形成の必要を説いた。…
【ハミルトン】より
…しかし,このためT.ジェファソン国務長官と事ごとに対立し,ジェファソンを中心とする反対党の形成を招いた。 彼はさらに,経済通の補佐官T.コックスの協力を得て作成した《製造工業に関する報告書》(1791)において,後進国の工業保護育成論を展開し,その実践として大規模な模範工場(いわゆるSUM)の設立を試みた。この計画は失敗に終わったが,彼の保護主義論は後年レーモンドDaniel Raymond,ケアリーHenry C.Careyなどの保護主義論者ならびにドイツのF.リストに強い影響を与えた。…
※「《製造工業に関する報告書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」