世界大百科事典(旧版)内の褥薩の言及
【五族・五部】より
…この改称を貴族勢力の衰退,王を中心とした中央集権の確立とみる説が有力であるが,貴族の構成員の変動と,貴族による中央集権の強化とみるのがよかろう。地方の五部の制度を否定する説もあるが,7世紀には南部,北部など地方軍政区画としての五部があり,部の長官を褥薩(じよくさつ),その配下の城主を処閭近支(しよろきんし)・道使といい,高句麗の滅亡時には五部176城あったという。王都の五部制度は百済王都の五部,高麗王都の五部坊里,李朝王都の五部などに,多少変化しながらも受けつがれたが,1894年の甲午改革でこの種の制度は廃止された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」