世界大百科事典(旧版)内の《西道謡》の言及
【小野篁】より
…同年東宮学士,弾正少弼となり,834年遣唐副使に任命されたが,翌々年進発した遣唐船は難破して渡航に失敗,さらに翌年の渡航も失敗した。838年の3度目の渡唐に際して,篁は大使藤原常嗣の専横に抗議し,病と称して出航を拒み《西道謡(さいどうよう)》という詩を作って風刺したため嵯峨上皇の怒りに触れ,隠岐国に配流された。この道中に制作した《謫行吟(たつこうぎん)》七言十韻は時人を感動させたが,《西道謡》とともに今は伝存しない。…
※「《西道謡》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」