要素主義(読み)ようそしゅぎ

世界大百科事典(旧版)内の要素主義の言及

【全体論】より

…全体は,単なる部分の集合ではなく独自のものを持ち,全体を部分や要素に還元できないとする立場をいう。これに対立する要素論(要素主義)elementalismでは,例えば要素的粒子が発見されれば自然は究極的に説明され,例えばDNAのふるまいを完全に究明すれば生命現象は理解できるなどと主張されることもある。しかし要素的粒子もその集合体は独自のふるまいを持ち,原子核,原子,分子,物体,生物体,人間,社会もそれぞれのレベルで独自の性質を持つと考えられるし,生物も核酸,細胞核,細胞,組織,器官,個体,集団のそれぞれのレベルで独自のあり方を持つので,要素に還元できないと考える立場が全体論である。…

【デ・ステイル】より

…リートフェルトのシュレーダー邸(1924,ユトレヒト)やファン・ドゥースブルフのレストラン〈オーベット〉の装飾(1926,ストラスブール)はその代表作である。領域の拡大や活動の国際化によって厳しい造形手段も少し緩和し,垂直,水平の秩序に斜線を取り入れた〈要素主義Elementarisme〉へと転換した。モンドリアンはこれに賛成できず,25年にグループを脱退した。…

【ファン・ドゥースブルフ】より

…〈新造形主義〉の絵画作品のほか,建築ではローゼンベルク邸案,ベルリンのウンター・デン・リンデン街改造計画(ともに1923)などを建築家ファン・エーステレンCornelis van Eesterenと発表,また機関誌《デ・ステイル》にはボンセットの筆名でダダ詩を,カミーニの名で評論を載せる。1925年〈要素主義〉を唱え(その実例がレストラン〈オーベット〉の改装(1926,ストラスブール。H.アルプ夫妻と共作)),モンドリアンの去った後は理論・実践とも彼が〈デ・ステイル〉の指導者となる。…

※「要素主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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