覚山志道(読み)かくざん・しどう

朝日日本歴史人物事典 「覚山志道」の解説

覚山志道

没年:徳治1.10.9(1306.11.15)
生年:建長4.7.4(1252.8.10)
鎌倉後期の臨済宗の尼。安達義景の娘で,幼少時は堀内殿,成人後は潮音院殿と呼ばれた。弘長1(1261)年,のちに執権となる北条時宗に嫁し,貞時などを生んだ。弘安7(1284)年,夫の時宗を34歳の若さで失った際に,円覚寺開山の無学祖元について落髪。翌年11月には,兄泰盛以下の安達一族の滅亡にあっており,正式の出家はこの事件の影響によるとも考えられる。時宗の三年忌には自ら華厳経を書写して供養しており,また円覚寺や建長寺に寺領を寄進した事実がある。なお,東慶寺のいわゆる縁切寺法が,この覚山志道のときに成立したとする伝承があるが,根拠はない。<参考文献>『北条九代記』『仏光録』『五山記考異』『鎌倉市史社寺編』,井上禅定『駈込寺東慶寺史』

(牛山佳幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚山志道」の解説

覚山志道 かくさん-しどう

覚山尼(かくさんに)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android