観世左近大夫暮閑(読み)かんぜさこんたゆうぼかん

世界大百科事典(旧版)内の観世左近大夫暮閑の言及

【観世黒雪】より

…家康の梅若など他の役者寵愛に対する反発が原因と伝える(《当代記》など)が,さだかでない。1612年2月には帰参を許され(《享和二年観世大夫由緒書》),観世左近大夫暮閑と称したが往年の愛顧は再び戻らず,事実上の塞状態が続き,大夫の職責は嫡子重成の多く代行するところとなった。1620年(元和6)4月,高弟石田少左衛門友雪により通称〈元和卯月本百番〉の刊行が着手されたが,暮閑はその底本をみずから校閲・監修し,23年ころ,大夫の正式に関与した最初の観世流謡本として刊行された。…

※「観世左近大夫暮閑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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