《諸知行方》(読み)しょちぎょうかた

世界大百科事典(旧版)内の《諸知行方》の言及

【公家領】より

…1600年(慶長5)9月関ヶ原の戦に勝利した徳川家康は,早くもその翌10月に公家領等を録上させており,翌年5月,家康は禁裏・女院などの御料を定め,宮家・公家・門跡などに知行を宛行っている。このときの状況を示す《諸知行方》によれば,宮・公家領の総高は3万石弱となっており,宮家では八条宮が3000石,伏見宮が1000石,公家は近衛家の2295石余から50石にまで及び,これが規準となり家領(けりよう)として定着していく。ちなみに江戸中期の宮・公家(106家)の総高は4万6600石となっている。…

※「《諸知行方》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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