世界大百科事典(旧版)内の護国論の言及
【鎮護国家】より
…東大・西大2寺をはじめ,平安時代の延暦寺や東・西両寺もまた鎮護国家を標榜したもので,僧尼も〈護国を修するは僧尼の道〉とさえ称せられた。摂関政治・院政期には鎮護国家の概念に代わって,むしろ王法仏法(王法)の観念が強まってくるが,鎌倉時代には禅宗,日蓮宗の勃興とともに仏法による護国論が提起された。栄西は《興禅護国論》を著して禅院の建立は国家を守護し民衆を利するものとし,道元は永平寺を建立してこれを実践したし,日蓮は《立正安国論》《守護国家論》を著した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」