世界大百科事典(旧版)内の豊竹光太夫の言及
【菅専助】より
…生没年未詳。医師の子に生まれたが,義太夫節を好み,2世豊竹此太夫の門に入って,豊竹光太夫を名のる太夫として出発した。1761年(宝暦11)には豊竹座で此太夫と同座,以後もほとんど此太夫と行動を共にしている。…
※「豊竹光太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…生没年未詳。医師の子に生まれたが,義太夫節を好み,2世豊竹此太夫の門に入って,豊竹光太夫を名のる太夫として出発した。1761年(宝暦11)には豊竹座で此太夫と同座,以後もほとんど此太夫と行動を共にしている。…
※「豊竹光太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...
7/28 化学辞典 第2版(森北出版)を更新
6/26 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/17 デジタル大辞泉プラスを更新
4/17 デジタル大辞泉を更新
2/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新