世界大百科事典(旧版)内の豊竹柳適太夫(2世)の言及
【彦六座】より
…興行ごとに評判が高まったので,寺井安四郎(1853‐1917。のちの2世豊竹柳適太夫)が金主となり,84年1月,博労町稲荷境内(大阪市中央区淡路町の難波神社)の北門に彦六席を開場し,沢の席の一座を移して興行した。翌月から彦六座と改称。…
※「豊竹柳適太夫(2世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…興行ごとに評判が高まったので,寺井安四郎(1853‐1917。のちの2世豊竹柳適太夫)が金主となり,84年1月,博労町稲荷境内(大阪市中央区淡路町の難波神社)の北門に彦六席を開場し,沢の席の一座を移して興行した。翌月から彦六座と改称。…
※「豊竹柳適太夫(2世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新