世界大百科事典(旧版)内の貢進生の言及
【奨学制度】より
…日本における奨学制度の最古のものは勧学田の制度とされる。近代日本の奨学制度としては,1870年(明治3)の大学規則により,学問,品行に優秀なる子弟を選抜し,各藩の負担によって大学南校へ進学させた貢進生の制度が最初のものである。貢進生の制度は71年に廃止されたが,その後,旧藩は独自に育英会を組織し,なかでも78年に旧加賀藩主前田家によって設立された育英社はその先駆的なものとして有名である。…
【大学南校】より
…〈普通学ヨリ専門学科に至ル其理ヲ究メ其技ヲ精フスル〉ことを教育目標としたが,実際には洋学を通じての普通教育を行うことが主であり,とくに英語,フランス語を中心とする語学教育,多数の外国人教師によるその訓練を行った。70年10月には,各藩が派遣した英才300余名を〈貢進生(こうしんせい)〉として迎える一方,同年には学生・教官から外国留学生を派遣,翻訳局では洋書の翻訳出版を行った。71年7月大学の廃止により南校と改称,同年9月いったん閉校して学制を改革し10月に再開校した。…
※「貢進生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」