世界大百科事典(旧版)内の《赤いターバンの男》の言及
【自画像】より
…その場合両手を添えて描いた3/4正面像となることが多く,筆をもつ右手が画中では左手となって他方の手のうしろに隠され,また眼は自身を正視する形で後から描き入れられるのが定石である。ヤン・ファン・エイクの《赤いターバンの男》(1433)がもし自画像であるとすれば,上記の型はヤン・ファン・エイクによって15世紀初頭にネーデルラントで創始されたことになる。これに対しルネサンス期のイタリアでは画家が画中の一人物として登場する型が多く,それを〈助手像としての自画像〉と呼ぶが,やはりモデルを確定しうる例は少なく,ゴッツォリが《三博士の参拝》(1458)中に名前を記した帽子をかぶる自身の姿を描いたのが有名である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」