世界大百科事典(旧版)内の赤堀川の言及
【利根川】より
…この利根川の本流を東へ東へと付け替え,太平洋に注ぐようにしたのは,近世初期より数度にわたって実施された,江戸幕府による改流工事であった。その最初は1621年(元和7)で,〈新川通り〉および〈赤堀川〉を開削して利根川を渡良瀬川に合流させ,常陸川筋へ落とそうとしたが,赤堀川の通水には失敗した。35年(寛永12)には現江戸川上流の開削に着手し,利根川,渡良瀬川の合流を現埼玉県幸手(さつて)市権現堂の北で東方に曲げてこの流頭に結び(権現堂川),その結節点から北に〈逆(さかさ)川〉を掘って下総国関宿の北で常陸川の上流と結んだ。…
※「赤堀川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」