世界大百科事典(旧版)内の赤帽子の乱の言及
【ブルターニュ】より
…王権による権力集中のかなめであった地方長官が置かれたのも,諸地方のなかで最も遅く,1689年になってのことである。新税の課税をきっかけに起こった1675年の〈赤帽子の乱〉(またの名〈印紙税一揆〉)は,ルイ14世治下の最も激しい反乱の一つであるが,ブルターニュ人の独立意識がここにも色濃く反映している。フランス革命に際しても,ジャコバン・クラブの前身となるブルトン・クラブをいち早く結成するなど,革命の精神に進んで呼応していたブルターニュが,聖職者基本法と徴兵令の施行をきっかけに,1794年,〈ふくろう党chouannerie〉の反乱を引き起こすのも,根強い反中央の観念を背景にしている。…
※「赤帽子の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」