世界大百科事典(旧版)内の赤間関在番所の言及
【赤間関】より
…1739年(元文4)の〈地下上申〉絵図には,外浜丁,中ノ丁,赤間丁,稲荷町,城のこし,小細井,大細井などの地名がみえる。長府藩は南部町に赤間関在番所を設置し,在番役,町方役らに町政を支配させるとともに,民間人の大年寄,小年寄らに実務を担当させた。1672年(寛文12)河村瑞賢が西廻航路を開発し,北前船が北国筋の物資を大坂へ運送するようになると,赤間関は西廻海運の拠点として大きく発展した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」