世界大百科事典(旧版)内の趙王陵の言及
【陵墓】より
…発掘された周窰(しゆうよう)1号墓は封土の状況が明確でないが墓上に多数の瓦片が散布し,木造建築のあったことは明らかである。明確な証拠はないが,これらの陵台が趙敬侯の邯鄲遷都(前386)以後の趙王陵群と考えて誤りなく,《史記》の伝える粛侯の寿陵に相当するものが含まれているはずである。このように墓室直上に木造建築を建てるものは,さかのぼって殷墟婦好墓上に2間×3間の木造建築があり,安陽大司空村311,312号墓にも墓坑直上に建築基址があり古く殷代からの伝統であることが判る(殷墟)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」