コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

足立左内 あだち さない

3件 の用語解説(足立左内の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足立左内 あだち-さない

足立信頭(あだち-しんとう)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

足立左内

没年:弘化2.7.23(1845.8.25)
生年:明和6(1769)
江戸幕末の天文方。名は信頭で生家の姓は北谷,大坂御鉄砲奉行同心の足立家に養子に入り,養父の左内を襲名した。麻田剛立 の弟子で高橋至時,間重富に次ぐ実力者。寛政8(1796)年改暦御用の命を受け,至時の手付(属吏)となり,京都において御用を勤め,翌9年改暦御用済みとなり大坂の元の職に戻ったが,その学識才能を惜しむ間重富らの奔走で,文化6(1809)年同心の身分のまま暦作御用を命ぜられ,江戸に出役して高橋景保の手付となった。特に語学に天分があり,文化10年馬場佐十郎と共に松前に出張してロシア語を学び,ロシア人との交渉に携わった。この間のことはゴローニンの『日本幽囚記』に詳しい。帰府後貰い受けてきたロシア語の辞書を幕府に提出し,その取り調べを命ぜられた。天保6(1835)年『魯西亜辞書』を完成,同年11月天文方に昇任。この間,外国船が来航するたびに通訳として浦賀・大津浜におもむいた。また渋川景佑と共にオランダ語の天文書『ラランデ』をもとに『新巧暦書』(40冊),『新修五星法』(10冊)を完成し,それを参考にした天保改暦にも参画した。なお,没日は過去帳や墓誌では7月1日没,上記は『天文方代々記』による。

(内田正男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

足立左内
あだちさない

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

足立左内の関連キーワード外姓天文方西村遠里本姓足立信行足立信順足立信頭遠藤盛俊佐竹義根中西子彦

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone