世界大百科事典(旧版)内の転般法の言及
【大運河】より
…河陰から黄河をさかのぼって長安に達するには,途中で三門峡の険所を避け,黄河の北岸で物資を車に積み換え陸運せねばならなかった。この陸運の部分を短縮して効率を上げたのが,裴耀卿(はいようけい)によって733年(開元21)から行われた転般法で,3年間に700万石(約50余万t)の米穀を輸送することができたという。744年(天宝3)には長安への物資輸送をいっそう円滑にするため,漢の漕渠,隋の広通渠のあとをついで長安から華陰まで漕渠が開かれた。…
※「転般法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」