輪王寺宮能久親王(読み)りんのうじのみやよしひさしんのう

世界大百科事典(旧版)内の輪王寺宮能久親王の言及

【彰義隊】より

…旗本や諸藩浪士の隊中に投ずる者が多く,勢力は3000余人に達した。5月3日(4月11日)の江戸開城後,慶喜は水戸へ去り,彰義隊は慶喜らの説得を退け,輪王寺宮能久親王を擁して上野寛永寺に入り,官軍に反抗の姿勢を示した。官軍は初め態勢が整わず,これを静観したが,軍防事務局判事大村益次郎が着任して強硬方針を固め,彰義隊の江戸巡邏の任を解き,7月4日(5月15日)上野を包囲し,大村の指揮下,いっせいに攻撃を開始した。…

※「輪王寺宮能久親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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