世界大百科事典(旧版)内の農業三事の言及
【津田仙】より
…維新後築地ホテルの理事となり,外人用の各種洋菜の導入栽培を始めた。73年オーストリア万国博覧会に派遣され,この際園芸学者D.ホーイブレンクから気筒法,偃曲(えんきよく)法(取木法),媒助法を学び,帰国後これを《農業三事》として出版し数万部を売りさばいた。75年学農舎を,76年学農舎農学校を設立,同時に《農業雑誌》を創刊,官製の路線とは別の,西欧化をめざす独自の農業像を掲げて精力的な活躍を続けた。…
※「農業三事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」