世界大百科事典(旧版)内の農耕祭祀の言及
【祭祀遺跡】より
…洞窟内にクマの頭骨を集積した実例(スイスのドラッヒェン洞窟Drachenloch)は,日本の縄文文化の,イルカの頭骨を半円形に配したもの(釧路市東釧路貝塚),イノシシ(幼獣が多い)の下顎骨のみ118頭分を穴に埋めたもの(山梨県金生(きんせい)遺跡),オホーツク文化のクマの頭骨を祭壇上に集めたもの(網走市モヨロ貝塚)と同様,狩猟祭祀との関連が説かれている。 農耕祭祀にかかわるものとしては,西アジアの初期新石器時代の集落に,独立した建物(パレスティナのイェリコ遺跡),あるいは建物の一部(トルコのチャタル・ヒュユク遺跡)が祠堂として使われたものがある。北西ヨーロッパの新石器時代から青銅器時代にかけては,巨大な石で構築した各種の遺構の存在が目だっており,巨石記念物と総称されている。…
※「農耕祭祀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」