世界大百科事典(旧版)内の辺外七鎮の言及
【黒竜江[省]】より
…だが黒竜江は辺境防備の要地であり,帝制ロシアの東進にともない,清朝も1654年(順治11)昂幇章京を寧古塔に置き(のち寧古塔等処将軍と改称),辺境防備と貢物の収受に当たらせた。1683年(康熙22)中露間に戦争状態を生じると,寧古塔等処将軍は吉林に移駐し,現在のアイホイ(愛輝)に黒竜江城を建設して前哨基地とし,また現在のチチハル,嫩江,扶余,依蘭に官治を設け,これらを辺外七鎮と総称した。同時に多くの駅站(えきたん)を設け,また駐屯軍への食糧供給問題を解決するため,軍隊による屯田を奨励した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」