世界大百科事典(旧版)内の迎恩門の言及
【ソウル】より
… ソウルの旧市内には李朝500年の歴史的建造物と,李朝末期から植民地時代に建設された近代建築とが混在しているが,一方では70年代以降の経済成長のもとで都市景観の変容と市域拡大がもたらされた。李朝末期,中国との事大関係を象徴した西大門外の迎恩門(中国からの使節を迎えた)がとりこわされて建設された西洋式アーチの独立門(1897年独立協会の提唱により建設)が,高架道路の建設に伴って付近に移転され,その北方を中国国境に接する朝鮮民主主義人民共和国の新義州までのびる道路が〈統一路〉と名づけられていることなどは,現代のソウルの変容を象徴的に示すものであろう。李朝時代に李王家や両班(ヤンバン)貴族のみが享受した秘苑(昌徳宮の背後に広がる李朝初期以来の庭園)や隣接する昌慶苑(もと昌慶宮)は公園として市民に開放され,景福宮には国立中央博物館,徳寿宮には国立現代美術館が設置されるなど,文化施設として活用されている。…
※「迎恩門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」