世界大百科事典(旧版)内の近木櫛の言及
【櫛造】より
…市津での関料を免除され,諸国を遍歴,交易した御櫛生供御人は鎌倉後期,唐人,傀儡子(くぐつ)による櫛商売の濫妨を停止し,その特権を再保証する蔵人所牒を得た。近木櫛は江戸初期まで名産であるが,平安中期から知られる筑紫櫛も《七十一番歌合》の櫛挽の歌にみえ,山城,摂津,伊勢,長門,紀伊,薩摩などにも櫛作りの職人が分布するようになっている。【網野 善彦】。…
【近木荘】より
…当時現作田は213町余あったが,同荘の内外に居住していた院の召次の給田や雑免田のほかに内膳司領であった網曳御厨の寄人の給田,奈良春日神社雑免,宮中の大歌所十生雑免などのほかに刀禰・番頭の給分,院や近衛家の御櫛造に当たっていた手工業者の給田・雑免田などがあって,一円領ではなかった。近木櫛は貴族にも珍重され,酢とともに室町時代まで生産は続けられ,荘園とはいってもこの地方は手工業・商業が盛んであった。1258年(正嘉2)には同地を本貫とする御家人として近木金剛丸,神崎四郎,馬郡左衛門尉がみえる。…
※「近木櫛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」