世界大百科事典(旧版)内の近江屋喜助の言及
【のれん分け(暖簾分け)】より
…近世の豪商経営をみていくと,この暖簾分け制度が大きな意味をもっているのに気づく。 大坂道修町(どしようまち)の武田(近江屋)長兵衛家(武田薬品工業の前身)の場合,1779年(安永8)に主家である近江屋喜助から屋号,暖簾を使うことを許され,銀2貫目の元銀と秋田方面の販売圏を譲られ,道修町の薬種仲買として独立することができたのである。主家の近江屋喜助も,近江屋一族の宗家太右衛門の別家格であるし,武田も経営が安定してくると次々と暖簾を分けて別家を増やしていった。…
※「近江屋喜助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」