近藤正斎(読み)こんどうせいさい

世界大百科事典(旧版)内の近藤正斎の言及

【近藤重蔵】より

…近世後期の北方探検家。名は守重,通称は重蔵,号は正斎。1795‐97年(寛政7‐9),長崎奉行出役として海外知識を深め,蝦夷地警衛の重要性を幕府に建言,98年目付渡辺久蔵らの蝦夷地視察の一行に加わり,翌99年蝦夷地御用掛が設けられると,その配下に属し,数回にわたり蝦夷地・千島方面を探検し,特に高田屋嘉兵衛の協力を得てエトロフ航路を開き,1802年(享和2)エトロフ島でロシアの標柱を廃し,〈大日本恵登呂府〉の木標を立てるなど,ロシアの南下に対する北辺の防備・開拓に尽力した。…

※「近藤正斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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