世界大百科事典(旧版)内の近衛兼平の言及
【鷹司家】より
…藤原氏北家の嫡流,五摂家の一つ。近衛家実の四男兼平を始祖とし,家号は兼平の殿第が鷹司室町にあったのに由来するが,また楊梅小路に面した猪隈殿をも伝領したため,楊梅の称もある。鎌倉時代の初めから近衛・九条両家の対立が激しくなったが,承久の乱後,九条道家とその3人の子が相ついで摂関の地位を占め,九条家の全盛をほこった。しかし1246年(寛元4)に起きた前将軍藤原頼経(道家の男),名越(北条)光時らの謀反陰謀事件により,道家とその男摂政実経が失脚し,近衛兼経が摂政に再任されて,近衛家の得意時代を迎えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」