世界大百科事典(旧版)内の《週刊アンポ》の言及
【ベ平連】より
…1965年2月のアメリカ軍による大規模な北ベトナム爆撃の開始に抗議し,4月24日,小田実,開高健,鶴見俊輔,いいだ・もも,高畠通敏らの呼びかけたデモが,東京の清水谷公園で行われ(参加1500人),〈ベ平連〉が発足した。その後,徹夜ティーチイン(1965年8月14~15日),《ニューヨーク・タイムズ》紙への反戦広告掲載(同年11月16日),〈日米市民会議〉(1966年8月),反戦脱走米兵への援助(最初は1967年11月,米空母イントレピッド号からの4水兵の国外脱出援助),米軍基地内での地下反戦組織の結成,《週刊アンポ》の発行(1969年11月~70年6月),毎月1回の定例反戦デモなど,ユニークな活動をつぎつぎと展開した。組織は会員制をとらず,自発性を重んじ,68‐69年には全国に300以上ものベ平連グループができた。…
※「《週刊アンポ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」