世界大百科事典(旧版)内の過街塔の言及
【居庸関】より
…周囲6km余の関城は,モンゴルの侵入がもっとも激しかった明代に築かれたもので,ここに隆慶衛(のち延慶衛と改名)をおき多数の守備兵を駐屯させた。今この関城の中心に道路をまたいで,大理石のアーチ型の門が立っているが,これは元代,1343年(至正3)に交通安全を祈って建造された過街塔の台座なのである。元の皇帝は毎年夏を内モンゴルのドロン・ノール(上都)で過ごすため,ここを通って北京(大都)との間を往復するのが例であった。…
※「過街塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」