世界大百科事典(旧版)内の《遭厄日本記事》の言及
【ゴロブニン】より
…日本ではゴローニンの名で知られたロシアの海軍士官。晩年は中将にまで昇進し,主計総監としてロシア海軍力の増強に尽くした。1807年三檣船ディアナ号の艦長として極東に向かい,11年南千島海域を測量中,国後(くなしり)島で部下たちとともに日本側の捕虜となる。1806‐07年に一部のロシア軍人がサハリン(樺太),択捉(えとろふ)島などで日本の番所を襲撃する事件があり,幕府は蝦夷地の防備を固めていたのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」