世界大百科事典(旧版)内の遵義堂の言及
【近江国】より
…街道の往来が盛んになると,甲賀郡の信楽焼,売薬製造,愛知郡の挽物,坂田郡の伊吹もぐさなどの需要が増大した。
[文化と学問]
近世中期以降,諸藩で藩校の設立がみられ,1799年(寛政11)彦根藩の稽古館(1830年弘道館と改名),1808年(文化5)膳所藩の遵義堂をはじめ,水口藩の翼輪堂,大溝藩の修身堂,西大路藩の日新館と,つぎつぎに建った。また近江出身の学者では,中江藤樹が高島郡上小川村,崎門派三傑の一人浅見絅斎(けいさい)も高島郡太田村出身で,絅斎の弟子に犬上郡郷士の若林強斎,木下順庵に学んだ伊香郡の雨森芳洲ら儒者がいた。…
※「遵義堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」