世界大百科事典(旧版)内の部族大公の言及
【ヘルツォーク】より
…メロビング朝末期,王権の弱体化と各地豪族の自立化に伴って,チューリンゲン,バイエルン,アラマン,フリーゼン,アクイタニアに大公が出現する。アクイタニア以外は大公の支配領域が部族領域と結合しているので,部族大公制と呼ばれる。カロリング朝は部族大公制を廃止し,大公領を多くのグラーフシャフト(グラーフ)に分割するが,王朝末期には,再びバイエルン,シュワーベン,フランケン,ザクセンの部族大公領が復活し(新部族大公制),ザクセン朝,ザリエル朝,シュタウフェン朝を通じ,いずれかの部族大公の家門がドイツ王位を世襲して,部族大公領は,中世ドイツ国家の重要な構成単位となった。…
【ラント】より
…804年にはザクセン族がカールに屈服した。これらの諸部族は部族大公領Stammesherzogtumとして残るが,アラマンやザクセンには国王がおらず,高位貴族によって統治されるまとまりの弱いものでしかなかった。しかしながらアルプス以北では9世紀にフランク王国は東フランクと西フランクに分裂し,西フランクではカロリングの伝統が987年まで続くが,東フランクでは911年には絶えてしまう。…
※「部族大公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」